筆 : 足利 佐

「死に至る病」ではない

2010年4月

少し前に症状はあったものの突然のように体も気力も失せてしまい、救急車で病院へ。
一晩検査の末、転院してF病院に。そこでの診断は「急性骨髄性白血病」でした。
お医者さんから病名を聞かされ最初に頭に浮かんだのは、甥っ子の病でした。

「突発性血小板減少症」という名前の難病です。

甥っ子は十数年前にこの病気にかかり無菌室での生活が続きましたが、今ではすっかり元気になり、通常の仕事や生活に支障をきたすようなことはありません。

もう一つ思い出したのが女優の夏目雅子さんです。
白血病で亡くなられましたが、本当は感染症の肺炎で亡くなられたそうです。

つまり、私の年代では「白血病」は「死に至る病」というイメージがありました。
けれども、最近の血液内科の充実ぶりを見てみますと、回復率が相当アップしていることも、白血病といっても様々な病名が付けられていることも後で知ることになります。

F病院に入ったその日に検査を受け、医者からの説明を聞いて午後から抗がん剤治療が始まりました。肺炎も併発していましたから熱が高く、息苦しく、気だるさや気力の低下がはなはだしく意識も正常ではありません。

病院食も口にしては直ぐに吐くありさまで、ベッドから動くこともしたくない気持にとらわれます。
酸素ボンベを装着し、流動食用の経口を鼻から差込み、尿瓶をベッド脇に置いて、腕に点滴ですからいかにも重病人の姿です。

お医者さんは「ベッドから起きて一日を過ごしてください」ときつく忠告されるのですが、しんどいのでとてもベッドから立ち上がることが出来ません。

よく叱られました。

 

 

 

白血病の治療

白血病の治療は、抗がん剤を投入して悪細胞を死滅させることから始まります。

しかし、善い細胞も死滅するので一定期間が過ぎますと抵抗力が落ちて感染症に罹る可能性が高いことから、クリーンルーム(無菌室)に入って抵抗力を高める治療―主に好中球注射など―をします。

数値がある一定のレベルに達しますと、クリーンルームから一般病室での療養になります。
この抗がん剤を投入する量や期間、種類は人によって違ってきます。

また、抗がん剤の副作用も必ず引き起こすことになりますが、その症状も人によって違ってきます。私の場合は、抗がん剤治療は6日間でした。

その後、肺炎の影響で熱が下がらなかったことも影響してすぐにクリーンルームに入りました。2週間ほどしてやっと一般病室に移されました。

そして採血して数値が安定しますと、一時退院となります。
この頃には気力も気分も安定して、もう治ったのではないかと思ってしまうほど正常にいられます。

私は4週間の治療で一時退院の形式でした。これを1クールと名づけ、病の重さによって5クールから十数クール続けることになります。幸いにも私は5クールで病院内での治療を終え、後は通院治療で完治を待つことになりました。(5年間発病しなければ完治と見なすそうです)

 

 

 

深い絆を感じる時

また、抗がん剤の副作用に苦しめられることにもなります。
私は脱毛・手足のしびれ・味覚障害・便秘といったオーソドックスな副作用でしたが、
人によっては口内炎や内臓に影響するようなこともあります。

さらに抗がん剤が効かない人もいて、より強い抗がん剤をしなければならなくなり、
副作用や合併症に対する注意も一層レベルを上げなければなりません。何より、
気力が持つだろうか、体力が続くだろうかと落ち込んでしまう患者さんも多いようです。

F病院では、そういった患者さんのためにスピリチュアルカウンセラーが2人常駐しておられました。
どちらも私のよく知っている方々です。そのような方が居られれば心強く治療に専念することが
出来ますが、多くの病院では常勤のカウンセラーを置くことは難しいのではないかと思います。

今回が人生初めての入院でした。今まで見取る側であったのが見取られる側に立ったことは、
意識を大きく変えることにもなりました。サポートやケアをもって自分の位置取りをしていたのが、
受ける側としての世界を生きることが出来たことは、とても大きな学びとなりました。


医療スタッフに対する気持、サポートしていただく気持、そして支えてくださる家族や親戚、
友達や仕事仲間、地域の人々に対する思いが自分を支えていてくれているんだと
深く心に刻み込んできます。深い絆を感じる時です。

家族は毎日誰かが来て身の回りの世話をしてくれました。深い家族愛や絆を
改めて実感させられた瞬間でした。あちこちのスタッフは時々顔を見せてくれて、
近況報告をして見舞ってくれました。まだ自分は役に立っているのだと思わせてくれる時間です。

友はぶらっと訪ねてきてはぶらっと帰る、それが自然でとても好きな一時です。
親戚は苗字ではなく名前で呼び、「大丈夫かいな!大丈夫かいな!頑張ってや!」と
繰り返し励ましてくれるそのやり取りが心地よい時間を生み出してくれます。

そのような人たちが私を本当に支えてくれているのだ、もしそのような人たちが私の周りに一人もなく
病と闘わなければならないのならば、孤独に耐えられたであろうかと体現したのが今回の病院生活でした。
医療スタッフは常に心掛けて病室に足を運んでくれますが、

「誰か顔を見せに来~へんかなぁ」と身内や友を待っているのが本音です。

 

 


いのちに響く実感

そのような気持を抱えているからこそ、患者さん通しのコミュニケーションも突っ込んだ話になります。

1クールが終わって一時退院の時、自宅から遠いので近くの病院に転院したのですが、その病棟で数名の患者さんと挨拶やら話すようになりました。同じ境遇にありますから痛みを共有している認識が前提で、「何で自分だけがこんな病気になってしまったのか、悔やまれる」とか「死にたくない」、
また家族の話など話しかけてこられました。

聞き役に回って頷いたり励ましたりしながら時を過ごすことが多くありました。看護師さんからも「そんな患者さんにどのような言葉をかけたらよいのか、ケアをしたらよいのか、力量不足でたまりません」と泣いて話されたこともありました。

私こそどうしたらよいのか、改めて力不足を実感させられたことです。傾聴するケアは誰にでも出来る簡単なことかもしれませんが、とても重要なケアであるのだということを再認識させられました。

白血病は血液の癌ですから死に至る確立も高くなります。しかし私は、「死すること」や「死への恐怖」はあまり沸き起こってはきませんでした。それよりもやり遺したことがあることに後悔の気持が移っていました。

そんな折、8月2日に母親を亡くしました。数えで90才です。大阪に姉と住んでいた母親は「まだら認知症」になっていて、ショックをうけないように私の病名も隠していたようです。一時退院の時に見舞いに行ったのですが、あまりよく判らないようでした。その母親が亡くなり通夜・葬儀は私の所から出すことで兄弟と調整をして見送りました。

葬儀の時だけ一時外出の許可をもらい出席したのですが、それまでは看取りを最後の仕事として決めていた私が母親を看取ることが出来なかったことに対して、悔しくて悔しくて病気を恨んでしまいました。

でも、死に姿の母親を見た時、自然と溢れる涙の中で「母親には敵わない!」という思いが心の中一杯に埋め尽くしました。

「いのちのバトン」を私に繋いだ人の顔を二度と見ることが出来ない、二度と話をすることが出来ない人生の終末経験を私に圧倒的な姿で見せ押さえているのだと感覚したことでした。

その体験は私に対して何か押しつけているようなものではなく、「いのち」に直接響いてくるような実感を持っています。

 

 

 

共鳴して共感して共生するために

現代人は感動を求めて映画やドラマに気持をよせていきますが、それは非日常をただ味わいたいだけだと言う評論家の方もおられます。私は母親の死を通してよく泣くようになりました。

感動してというよりも、共鳴して共感して共生したいという思いが強く働きます。先日も娘が可愛がっていた猫が亡くなりました。癌と白血病が原因でした。治療していたのですが最期は看取りを選択して、家族で看取りを実践しました。

可哀想で寂しくて泣くこともありますが、愛猫の死しての存在感が私たちの心を揺り動かします。
死者と生者との関係をどのように持てばよいのかという大きなテーマを持った瞬間でもありました。

病院生活は様々な思いや願いが意識の底から思いがけずに表れてくる時間でもあります。ましてや命をかけて闘わなければならない病に対して立ち向かう時、思ってもみなかった心が立ち上がってくることもあります。

また、自分ではどうにもならないことに立ちつくすこともしばしばです。耐えることも弾けることも出来ないで二度と立ち上がれない思いが心を締め付けてくることもあります。そのような思いから何としても逃れたいと必死にあがきますが、逃れきることは出来ません。

孤立化や孤独にならないように自己アピールも必要なことです。血液内科病棟は50人以上の入院患者がおられましたから、顔と名前と部屋番号なり部屋の位置を周囲の人たちに覚えてもらうことです。私は「注射嫌いの足利さん」で通っていました。

一生涯の内でこんだけ打つかというぐらいの注射でした。麻酔・採血・点滴・皮下注射・骨髄液注射・・・、数え切れないほどの注射でしたが、針が肌の中に入っていくこと自体が目を瞑る思いです。

とにかく嫌だったことが医療スタッフには私を覚えてもらえる機会になりました。

 

 

 

余談

9月一杯で白血病の治療は一段落したのですが、退院して2週間後、今度は急性胆のう炎で病院に舞い戻りました。

1週間ほどで退院したのですが、手術は全身麻酔でした。これも初体験です。麻酔科の先生に「私は神経質だから眠らないかもしれません」といったその直ぐ後に眠ってしまいました。

「これから眠るのだ」ということもなく突然眠りに入ります。
夢を見ることも眠っている自分を意識することもありません。

これは一種の臨死体験ではないかと思っています。
全身麻酔をされた方はどのように感じられておられるでしょうか。

 

 

 

 

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