【2003年】
・真宗大谷派清史彦師(大阪教区4組瑞興寺住職)らの呼びかけにより、超宗派超宗教の有志による「ビハーラ勉強会」が立ち上がる。
【2004年】
・高橋俊市氏ら医療関係者が理事を勤めるNPO法人と合流して、NPO法人ビハーラ21となる。
・第1期「ビハーラ僧養成講座」開講。
【2006年】
・最初のビハーラ住宅として、平野区に「シェアハウス中井」がオープン。
【2008年】
・介護事業部門を開設。
・第2期「ビハーラ僧養成講座」開講(~2010年)
【2009年】
・障がい者ケアホーム(現グループホーム)を瓜破に開設。
【2011年】
・事業規模拡大に伴い意思決定のスピード化のため、理事を10名から3名に削減。理事長に西岡易子が就任し介護事業中心の体制に組織変革する。
【2013年】
・喜連に新施設が竣工し、介護事業本部と障がい者グループホームを開設。
・瓜破西に新施設が竣工し、総本部と障がい者グループホームを開設。
・出戸、清水(旭区)にビハーラ住宅を開設。
【2014年】
・瓜破西に高齢者デイサービスを開設。
・舎利寺(生野区)にビハーラ住宅を開設。
・清水(旭区)に障がい者作業所(就労継続支援B型)を開設。
・一般社団法人ビハーラ21福祉事業協会を設立。
【2015年】
・出戸に障がい者グループホームを開設。
・平野本町にパン工房(就労継続支援B型)を開設。
・理事を3名から5名に増員。
理事長・西岡易子は、2003年に仏教的ホスピス「ビハーラ」の勉強会に参加していました。子育てを終えて時間的ゆとりが多くなった主婦の西岡は、「私も何か社会の役に立ちたい」と思っていました。
2006年、「ビハーラ」の勉強会に参加していたメンバーによって、大阪市平野区に最初の自立支援マンションがオープンしました。西岡は、第1番目の入居者の迎え入れから高齢者、障がい者一人ひとりに丁寧に向き合ってきました。ある時は、自宅から鍋と材料を持ってきて食事を振る舞い、またある時は、童謡の歌詞をコピーして配り歌の会を開催したりとボランティアを続けました。
一人では大変だった西岡は、主婦友だちの杉野恵(現副理事長)を誘いました。まだまだ子育て中だった杉野は、ボランティアでの参加は難しいので、介護職として関わる事になりました。
2008年、杉野が代表となって介護事業所を立ち上げる事になりました。別法人を設立する案もありましたが、西岡と二人三脚での「社会貢献」を目指す杉野は、ビハーラ21というボランティア団体の中に、介護事業所を併設する形を選択しました。
こうして、大阪の主婦(おばちゃん)二人がリーダーとなってビハーラ21の骨格が出来上がったのです。
このリーダーの志に賛同する主婦たち(注:独身女性も男性もいます)が集まってきました。
法人のカラーが「大阪のおばちゃん」で染まっていきました。
ワイワイガヤガヤ。。。
お節介が過ぎる事もありますが、マンションの住民が一体となって、「大きな何か」に包まれている安心感があります。
その「大きな何か」は人によって違うでしょう。
ある人にとっては「母のような愛」であり、またある人にとっては「仏の慈悲」であるかもしれません。
2011年、医療・福祉領域で活動する僧侶・三浦紀夫(現理事)が、2年間にわたる「ビハーラ僧養成講座」を修了し、常勤スタッフとして加わりました。
今までには、各宗派僧侶、神職、牧師など宗教者のボランティア参加はありましたが、専門職「ビハーラ僧」としての着任は三浦が初でした。
「主婦の私でも、何か社会の役に立ちたい」
この西岡の思いは、仲間が集まり大きな輪となって自主的な市民活動(NPO活動)として発展しました。現在は、専門職の集団である「介護事業」と仏教僧侶による「葬祭供養」も密接な関わりをしています。しかし、その根底にある精神は「キメ細やかな心配りによるお互いの助け合い」であります。